正しい判断をするには”観る力”を養え
私が生きる上でもっとも大切にしている言葉があります。
【人生は川の流れに逆らわず流れに身を任せて生きろ。そのうち川の分かれ道が来るだろう。その時、真実の心を持って正しい方を選べ。選んだら、また次の分かれ道まで身を任せておけ】【大事な分かれ道で正しい判断が出来る自分で常にいる為に、ヨガを続けよ】
これは、私が人生の川をバタ足で逆らって生きていた時、今は亡きヨガのグル(師匠)から言われた言葉です。
この言葉でハッとさせられて、そこから流れに逆らう人生はやめにしました。
流れに身を任せるととても楽ですし、何よりも穏やかで、その流れは止まることなく心地よく流れていくと知りました。
川の流れが激流の時はデンジャラスかもしれませんが……
それも人生の中でなくてはならないスパイスなのです。
私たちには時々、川(人生)の分かれ道(ターニングポイント)がやってきます。
その時に身体を痛めていれば、本当は選択できた方向もダメかもしれない。
その時に心が弱っていれば、正しい判断は難しいかもしれない。
だから、その時がいつ来ても良いように、常に体や心を良い状態、フラットな状態にしておかなければならないのです。
そうすることで、その分かれ道も正しい方向へ進むことができ、その後ももがいたり必死にバタ足を繰り返すことなく、その人生の川を渡っていけるのです。
しかし、身体や心がフラットな状態であったとしても、その分かれ道に気づけないこともあります。
それは、自分自身を観ていない時です。
観るというのは観察するということです。
私の知り合いの男性は、彼が壁やネガ~(ネガティブ思考)にぶつかったとき、考えるのを放棄します。
自分はどうして今このような状態なのか
自分の本当の気持ちは何なのか
自分は本当はどうしたいのか
このようなことを第三者の目線(本来の自分)で俯瞰して観ることをせず、自分の気持ちがしんどいからと何も考えることもなく、真実を見ようとすることもなく、その場の成り行きに任せたり、頑固になり今の感情を手放せなくなったりします。
私たちは、それぞれの魂を成長させるためにつらい経験や体験をします。
執着したり逆らったりせず、そこでとどまり、自ら考えることで自分を俯瞰して観ることが出来るようになります。
そうしていくことで、一つ一つ魂レベルが成熟へと向かっていき、分かれ道が来たときにそれに気づける自分でいられるのだと思います。
なので、彼のように自分を観ることを放棄すると、その能力は上がることがないので、分かれ道が来ていたとしても、気づけないままになります。
分かれ道に自ら気づかなければ、どちらの道に行くかの選択もできません。
分かれ道に気づくときは、それがハッキリと見えることもあるでしょうが、ほとんどの場合は、”ちょっとの違和感”です。
なぜか、今やっていることに違和感を感じ出した。
なぜか、人付き合いの流れが変わってきた気がする。
なぜか、同じようなことが不思議とおきる。
そのちょっとした違和感に、変化の声に気づけるかどうかです。
そして、気づいたとしても、その違和感に対して本来の自分はどうしたいのか知ることが出来る能力があるかどうかです。
身体や心がフラットな状態であったとしても、自らと向き合い観ることをしなければ、分かれ道は見逃してしまうのです。
自分の事を観ることは、時に苦しく感じることもあるでしょう。
本当の気持ちをごまかさずに観るということですから。
その怒りも悲しみもネガ~も誰かのせいではなく、自らの考えや行い、偏りのせいだと認めてしまわなければならないことが多いから、きっと彼だけではなく人は本来の自分で今の自分を観るということを放棄してしまうのでしょう。
ネガ~や怒りや悲しみに執着してしまったり、逆らったりするのはよくありません。
その時こそ自分の魂をレベルアップさせるときです。
俯瞰して、変わりゆく状況、変わりゆく感情、変わりゆく魂の入れものである体、それらを少しずつ観ていきましょう。
そうすることで、あなたが本当に今すべきことが見えてきます。
そうすることで、あなたの分かれ道が見えてきます。
そうすることで、あなたの人生の川の流れは良い方へ流れていくのです
変わりゆくこの世界(体、感情、人、モノ、本来の自分以外)で変わらぬ自分(本来の自分)を持って、スイスイ~と心地よい川の流れに身を任せ歩んでいこう
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